日本最後の仇討報謝塔
下田 平八の妻田鶴が10年間仇討成就を祈願。
大願成就の後、盲観音堂に報謝塔を奉納した。
日本最後の仇討報謝塔案内碑
報 謝 塔
<刻印あり>
念彼観世音 明治4年辛未歳4月16日
報賽 衆怨悉 大願成就下田氏
※日本最後の仇討の本に記載あり
■お堂までの道筋
■お堂の中
■平成18年5月18日 観音会、仇討のご子孫、日本最後の正式の仇討の会が初めて会う。
夫平八が、非業の最後を遂げたあと、妻田鶴が仇討成就を10年間祈願したのが、盲観音堂であった。仇討成就のあと、お礼参りに報謝塔を寄進した。その報謝塔とお堂を永年守り続けて、平成15年1月18日熊本日日新聞の「緑のリボン賞」を受賞された観音会の皆様と仇討のご子孫と日本最後の正式の仇討の会の皆様が初めてお会い致しました。
記念して写真集を盲観音堂に寄進しております。
135年振りに初めてお揃いで報謝塔の前にお座りになったご子孫のお二人。
左から(仇討の会)岡田信之、
(ご子孫)森山明、奥村千秋
永年、報謝塔と盲観音堂を守っておられる盲観音会の皆様。
■所在地 熊本市弥生町1丁目12